お墓の歴史(2)

現在一般的に普及しているお墓の形態というのは、いつ頃から始まったのでしょうか?
一般の庶民と言いましょうか、多くの人々が、現在のようなお墓をみんな立てるようになったのは、昭和30年代の高度経済成長時代ごろからだと言われています。

それまでは現在のお墓と言うような形式は、裕福であったり権力者などの一部の人たちのみが建てられるものでした。
ちなみに、ここで言う、お墓とは石碑や石塔を立てるという現在よく見られるお墓のことです。

歴史などを見てもわかるように、もともとお墓と言うのは権力者の象徴であったり、有力氏族の象徴でありました。
それが時代を経て、一族の墓という意識が変換していきます。
主に戦後になりますが一族から家族という意識に変換し、さらには最近の永代供養墓などにつながる一代または個人のお墓という意識に変換し流れてきています。

ちょっとした豆知識になりますが、明治に入るまでは、お墓と言うのは、埋葬する場所とお参りをする場所が違うということも多々ありました。
「埋め墓」と「参り墓」と言われます。
そして現在のお墓のように家族単位でお墓に埋葬するのではなく、ひとりひとり個別に埋葬をしていたのです。

ところが明治以降、人口が急激に増えていたことなども影響して、埋葬する場所がなくなってきたことから、現在の一般的なお墓である家族のお墓が普及し始めたとも言われています。

「お墓や埋葬の文化や風習は100年周期で変わっていく。」と言われることもあります。
それと照らし合わせると、一般のお墓から永代供養墓に変換している今の時期と言うのは、昔現在の一般のお墓と言われるものが普及し始めた頃から考えると、ちょうど100年後の変換期に当たると言う考え方もできますね。

高度経済成長の頃から、一人一人が豊かになり、そして「先祖を供養する・思いやる」というゆとりが精神的にも経済的にも生まれてきました。
それがちょうど50年位前のことになるかと思います。

しかし現在は、先祖を思いやる精神的なゆとりは皆さん持っているのですが、経済的であったり労力的なゆとりがなくなってきているという実情があります。
このことが、永代供養墓が普及し始めている一因でもあると思われます。

「供養する気持ちや思いやりを持ってはいるけれども、お墓の管理や維持と言う労力的経済的負担を考えるとお参りであったり供養することから遠ざかってしまう。」
そんな方が非常に増えてきているのが現状です。

永代納骨堂「やすらぎ」は、少しでもそのような方達のお役に立てる永代納骨堂でありたいと考えております。